すべてを投げ出したい時
みなさんは最近、自暴自棄になったことはありますか?
もうええわこんな人生!って思ってしまったことはありますか?
僕にはちょっとだけありました。
それがまた、自分でも意外だった所だったので、自分でもびっくりしたし、心を保つのに結構苦労しました。
その事について少しだけ書いていきたいと思います。
●あ、もうどうでもいいかも。
いつも悩んでいるとはいえ僕の場合、
心の「芯」の部分は案外守られていたりします。
例え上司に見捨てられても、
職場で居心地が悪くなっても、
友達と喧嘩をしても、
自暴自棄になったりすべてを投げ出したいと思うことは無かった。
どんな暴言を吐かれたって同じだっでした。
確かに自責グセが有るので、「ごめんなさい」「僕が本当に悪かった」と謝って相手をつけあがらせて関係が悪化することは多々あった。
でも、そのときでも自分の心が侵されたことは無かった気がする。
それがこの間、ひっくり返されました。
しかも他愛のない事で。
以下がその内容である。
〜〜〜〜〜〜
自分が家事を忘れていて、嫁が不機嫌になっていた。
近づくと明らかに不機嫌な様子。
忘れていた家事の事を謝ったが、ずっと怒っている。
ずっーと怒っている。
〜〜〜〜〜〜
それくらいのことだった。
普通なら僕の心は「まあええか」とか「しゃあないか」位で済みそうな内容だと思う。
けれどこのときは違った。
何か世界に取り残されたような、
自分だけがこの世界に一人だけ置いていかれたような、
自分の居場所がどこにもない事を突きつけられ、
僕が一人で今ここに立っていることがものすごく危なげで壊れそうな状態であることを知ってしまったのでした。
どうしてだろう?
初めての感覚に戸惑った。
このまま嫁の機嫌が一生治らずに離婚なんてことになったら、僕を包んでいたアイデンティティみたいなものが壊れてしまう。
か弱すぎる一人の孤独な存在でしかない。
今までアイデンティティで繋がっていた周囲の人間も、完全に切り離された存在であることを身を持って感じた。
自分たちが孤独であることは高校生くらいの時からずっと思っては来たけど、ここまで孤独で周りから断絶された経験は初めてだった。
家族が自分と一緒になりすぎたのかもしれない。
自分と家族の境目がなくなり過ぎて鈍感になっていたのかもしれない。
そして、急にその孤独を感じた瞬間に自分の努力みたいなものがちっぽけになっていって、「あ、もうどうでもいいかも」となってしまったのだった。
とりあえずすぐに立て直して、その時は事なきを得たのだけれど、この「もうどうでもいいわ」となった感覚は今でも覚えている。
今まで何の為に頑張っている来たんだろう、と本気で思うようになる。
●どうでもいいわ、の人
この感覚を体感して思った。
世の中の犯罪者って割とこういう気持ちなのかもしれない。
世界に見捨てられて、自分自身が地に足ついてないような、危な気な孤独感。
一人で抱え込むには余りにも空虚すぎて自分のことがどうにでも良くなってしまう。
こんな気持ちに加えて、守るものや持っているものがもう何もないとなると、人は更生とか人の為とかそういう事は考えている場合では無くなるのではないか?
博之さんが「無敵の人」と題したのだけれど、もしかしたら「無敵なだけの人」なのかもしれない。
本当は世界とのつながりを体の底から欲している。
もう泣きないくらいに、誰かどうにかしてと言いたいけど、自分一人しかいない。
そんな中で真面目に生きていくほうが難しいのかなと僕は思った。
僕の場合は時間と嫁の機嫌のおかげで事なきを得たが、解消できなかったときはどうなっていたのだろう。
そう考えるとまた心配で仕方がないが、いま自分の立っている場所が非常に脆いことだけはわかった。
この実は脆い足場を、どうやってもう少しいいものにできるのかを考えていきたい。
このままではおちおち喧嘩もできないではないか。
本当に不便極まりない体になってしまった30歳でした。