人生を信じることから始めよう

少しの事でイライラする自分について考えてみた。

少しでも参考になればと思い、書いていきます。

 

 

【出来事】


 外に出る用事があって、目的地に7割まで着いた時だった。ガソリンが無いことに気づく。
 このままでは作業をして戻ってくるまでに足りるのかどうかわからない。


 仕方が無しに、契約しているガソリンスタンドまで戻る。馬鹿馬鹿しい。時間が勿体無いと思う。こういう時間がかなり嫌いだったりする。


 そこでイライラしていたときにふと思い出したこと。横断歩道の外国人の記事(ソースはないです、すみません)


 そこで、「こういうことか!」と思った。自分は運命のようなものに抗いすぎている。頑張れば何とかなると言う考え方が行き過ぎているのではないかと思った。

 

【考】


必死に生きるのではなくて、
やっぱりある程度は諦めて身を任せて、自分の人生の不幸の必要性を感じ取るようにしたい。

 

 

今迄必死に生き過ぎていた。
必死に生きるべきだと思っていた。
時間に追われていて、周りのものが全く見えない人生だった。
そこにも問題があったのかもしれない。

 

綺麗な雪山に気づかずに滑りに夢中になる様な無神経さが、自分を苦しめてきた。


その無神経さは、人生に対する必死さから、余裕のなさから、周りを見渡せ無くなり、生まれていたのかもしれない。

 

もっと運命を信じよう。
自分が運命を切り開くという考え方も素敵だけど、僕達は環境にほぼ左右されております、個人が頑張ったところで変わるところも限られている。

だとすれば、緩く、人生を信じよう。

 

 

勿論、努力するなと言う事ではない。
上手く行かないことに対する必然性を信じようという事だ。

よく僕が間違えがちなのがここで、運命を信じると自分に言い聞かせると、
でもそれは努力を否定することになると思ってしまう。

 

そうじゃない。


自分努力の範囲を超えた物が人生に置いては多く立ちはだかっており、自分の努力とは無関係にその物語は立ちはだかっている。
だとすれば、無理に努力をするのではなくて、その中で如何に自由に生きるかをメインにしたほうがいい。

 

努力はする。
けど、自分の手を超えたものに関しては、運命を信じて、これでよかったと思えるような考え方で生きていきたい。


そうしたら、人生にありがとうを言えるような気がする。