考えることを知る代償

自分は昔から考える性格だったか?

 

違う

 

結構「のほほん」としているタイプだった。

ストレスを感じない術みたいなものがあった。

人の話を「心の芯」で受け止めないことだ。

まあ自然とやっていた事なので、やっている感も無かったくせに、割とうまくいっていた。

 

でもそれが最近になって無理になってきている。

 

理由は人間関係のせいだろう、と思う。

嫌でも自分の事を考えなければいけない。

考え抜いて仕事に対する姿勢や、生き方に対する姿勢を改めないとこの問題は解決しないのだろうから。

 

嫌でも自分に向き合う必要があった。

 

その辺りから、自分のことをくよくよ悩むようになったのだろうと思う。

 

●辞めれば?


 そんな職場なのに、なぜやめないのか自分でも不思議なんだけれど、やっぱり今メリットとデメリットを天秤にかけた結果、無理だよねという結論に落ち着く。

 

・本当は自分で稼いでみたい。

・けれど一度やめたら収入が無くなる。

・家族がヤバイだろうな。

 

 そう思うと仕事をやめる事ができない。

 一人暮らしなら辞めていたかもしれない。

 でも、家族の幸せを考えた時に、自分だけの心の問題を理由に家族を道連れにして良いものかどうか非常に迷う。

 それは強さと呼べるものかも怪しいくらいの、保守的であるだけだと思う。

 

 このままでも将来、案外大丈夫になっているかも。

 やっていれば行けるかもしれない。

 そういう安易な考えが頭をよぎる。

 投資では最悪のパターンなのだけれど、今の職場に居るのが、今の所一番マシな気がしている。

 (ここで大丈夫になるのは、もしかしたら感情が鈍化しているだけかもしれないが)

 

●良い事もある


 考えるようになってすべてが駄目になったわけではない。良い事もあると思う。

 

 確かに、心的危険性がどれほど脳にダメージを与えるかということも、科学的に証明されつつある。

 そんな中で、うつに近いくらいの人間関係に悩まされる体験をすることに意味があるなんて考え方もしたくはない。

 極度の疲労がウイルスによってうつの危険性を高めてしまうことは、割と確からしい話だった。

 だから、本当にいいことは無いのだけど、敢えて言うならば、という話である。

 

・色々考えるようになった

・新しい本を読むようになった

・弱者の気持ちが分かる

・努力の虚しさを知った

 

 恐らく、人生うまく行っている「ウェーイ」組には縁もない事だろう。

 げど、本当に悩んだおかげか、色んなことを考えることができるようになった。

 今まで見てきたものが違って見えた。

 自分がいかに強者の立場で世の中で幅を利かせていたのかを身にしみてわかった。

 でもそろそろ思う。

 

 もういい。

 

 もういいから、ちょっとだけの楽にさせてくれと。

 バランスが悪すぎて、世の中から孤立しそうな自分がいる。

 周りの人間をもっと信頼したいのにできない自分がいる。

 昔は割と周りに対してニコニコできたのに、今では警戒心が先走ってしまって怖い顔をしてしまう。

 嫌そうなテンションで人を迎えてしまう。

 

 その不甲斐ない自分に対して、やっぱいかんなーと思って、自分のダメさを確認してしまう。

 

 

 

 そういう無駄なループの外のほうが多い聞いので、そろそろ人間関係で悩むのをやめたい。

 

 そう思う今日この頃でした。

 

 あ、家で一人のときは最高に「のほほん」状態だから一応健康だよ(^O^)